2008年11月02日

やりました!女子シングル 村主は2位 武田は9位、フィギュアGP第2戦(すぐり物語♪)



 村主さん、おめでとう!

〜カンタン豆知識〜すぐり物語♪


 村主 章枝(すぐり ふみえ)は、1980年12月31日生まれ、神奈川県横浜市出身の日本の女性フィギュアスケート選手です。
 血液型はAB型。清泉女学院中学高等学校、早稲田大学教育学部卒業し、現在エイベックスに所属。妹はプロスケーターの村主千香さんです。

 ソルトレイクシティオリンピック5位、トリノオリンピック4位。世界選手権において獲得メダルが3個(最高2位)。全日本選手権においては3連覇を含む優勝5回。四大陸選手権優勝3回。2003年グランプリファイナルにおいては日本人選手初優勝を成し遂げる。
 村主選手はその表現力から「氷上の女優(アクトレス)」等と呼称されることが多い。また、大舞台に強い選手として「土壇場の女」という異名でも知られている。
 2008年現在、現役女子選手としては最年長の一人です。

〜人物〜

 6歳でスケートを始め、競技者としては厳格な性格の持ち主であり、自身についてこう語っています。
「試合になると自分の世界に入り込んでしまうため、周りからは怖いお姉さんだと思われてるみたい」
 でも、普段はおっとりとしているんですよ。
 また、父の仕事の関係で海外でも暮らしていたために英語が堪能です。
 演技中によく口が開いているのを見ますよね。
「これは癖なので、直そうと思っても直せない」のだそうです。

 2004-2005シーズン終了後には表現力を高めることを狙って「公開恋人募集」をしたもののわーい(嬉しい顔)、反響が大きくなり過ぎて急遽中止したことがあります。
 なお、演技後のキスアンドクライでよく「Chika! I love you!」と叫んでいるが、このChikaとは妹の村主千香のことです。

 2007年6月まで日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンのシンボルアスリート適用選手であり、トリノオリンピックが終わってからはしばらくの間テレビ出演が相次ぎました。
 2006年5月にはヴィダルサスーンのヘアショーにモデルとして出演したり、また同年5月上旬からははるやま商事(JOCのオフィシャルパートナーシップ企業)のCMにも出演しました。

 アラスカに住んでいた頃、劇団ひとりが近所に住んでおり(因みに劇団ひとりの父親も日本航空の国際線パイロットで、母親も日航の客室乗務員だった関係で在住していた)、遊び仲間の1人であったようです。双方ともそのことをほとんど覚えていなかったのですが、当時の事情を覚えていた第三者に説明されたことをきっかけに、2006年にはアイスショーのアトラクションで共演しています。

 珍しい苗字であるため、「ムラヌシさん」や「ソンシュさん」と読み間違えられることが多いが、「訂正がいちいち面倒くさい」と普通に返事をしているのだという。


〜他のスケーターとの関係〜
 
 オリンピック出場をかけて2大会連続で一騎打ちとなるなど、長年のライバルであった荒川静香さんとは確執が取り沙汰され、かつては関係者が「遠征先で相部屋になっても口を聞かない」と証言したり、2人の共通のコーチだった佐藤久美子さんが、「決して友達ではない。まるでタイプが違うので二人で行動しない」と語るほどでありました。
 2004年世界選手権で世界女王となった荒川さんが引退を考慮していると聞いた際、村主はさん「理解できない」と関係者に語っていた。
 その一方で荒川さんも、村主さんについて「取っつきにくい部分があり、どう話していいのか難しい」という印象を抱いていた。

 しかし、共に出場を決めたトリノオリンピックの日本代表合宿では、村主さんが荒川さんにドーナッツスピンについてアドバイスを求める場面が見られるようになったのです。
 このころお互いの人物評を求められて、荒川さんは村主さんを「努力の継続が尊敬できる
 一方、村主さんは荒川さんを「才能がある人」と評し、佐藤久美子コーチも「2人とも大人になった」と語るなど、和解が報じられました。

 その後プロ転向した荒川は、解説者として出席した2006年GPファイナル記者会見の席上において、村主さんのことを「一番長くお世話になっている人。毎年新しいものに取り組み、こつこつと努力しているのがわかる。そこが私が一番負けているところ」と語った。
 すると村主さんも「荒川さんが目指していた楽しんでスケートをするというのを、私もやりたい」と返した。

 ソルトレイクオリンピックの演技直前、サーシャ・コーエンがタイツを忘れてしまい、村主がタイツを貸すということがあった。これはフィギュア界で一種の美談となり、新聞でも報道された。
 しかしコーエンはその後数年間経ってもタイツを返さなかったようで、村主さんは2006年にテレビ出演した際、「早く返してくださいわーい(嬉しい顔)」と冗談めかして語っていた。


☆そんな村主選手の次の大会はロシア大会です。表彰台にあがってファイナルへGO!


参考資料 Wikipedia

Fumie Suguri 2008 Skate Canada FS

表現したいことが内側から出始めた感じがしますね。
日本語版↓


 大会スケジュールはこちら↓
 http://hiroto1.seesaa.net/article/108600324.html

●幼少期から1997-98シーズンまで


 横浜市鶴見区で日本航空国際線パイロットの父と、元客室乗務員の母の間に生まれる。村主家は18代続く旧家であり、先祖は酒造職人だった。3歳から5歳までをアメリカのアラスカ州アンカレッジで過ごす。この時代、スケートをはじめとするウィンタースポーツに親しんだ経験が競技生活の原点といえる。

 6歳でスケートを始める。1992年、小学6年生で全日本ジュニア選手権に初めて出場し、19位。1994年には初めての国際大会となるガルディナトロフィー(イタリア)で7位となる。1995年、全日本ジュニア選手権で2位となり、4度目の出場にして初の表彰台に上がる。続く世界ジュニア選手権でも初出場ながら4位に入賞し、その頭角を現し始める。

 1996-1997シーズン、全日本ジュニア選手権、世界ジュニア選手権でそれぞれ前季に続き2位、4位に入賞。全日本選手権ではショート3位からフリーで逆転優勝を飾り、2度目の出場で16歳にして全日本女王となる。シニアの世界選手権代表に初選出されたが18位にとどまった。10位以内に入れなかったため、長野オリンピックの日本女子シングル代表枠はわずか1つとなった。

 1997-1998シーズン、長野オリンピックと世界選手権の出場権がかかった全日本選手権では、ショートプログラムで首位に立つも、フリースケーティングのジャンプで転倒してしまい総合2位に終わる。ショート2位から逆転優勝した荒川静香が両大会の代表に選出され、村主は補欠となった。


●1998-99シーズンから2001-02シーズンまで

 1998-1999シーズン、グランプリシリーズスケートカナダで2位、NHK杯では3位に入賞。グランプリファイナルに初進出したが5位にとどまった。冬季アジア大会では3位に入賞。2季ぶりに出場した世界選手権では20位に終わった。同4月、早稲田大学教育学部社会科社会科学専修に自己推薦入学する。

 1999-2000シーズン、全日本選手権では3位に入賞、四大陸選手権では日本人選手最高位の4位に入ったが、世界選手権代表の座は同大会5位ながらフリースケーティングの内容を評価された恩田美栄にさらわれた。

 2000-2001シーズン、全日本選手権で3季ぶり2度目の優勝を果たし、2季ぶりに世界選手権代表に選出される。四大陸選手権で初優勝を果たし、ISU国際大会において日本人選手として佐藤有香以来7季ぶりのチャンピオンとなった。世界選手権では7位に入賞した。

 ソルトレイクシティオリンピックを控えた2001-2002シーズン、村主がNHK杯で7位に終わる一方で、グランプリファイナル進出を決めた恩田美栄が五輪代表に内定。全日本選手権は、事実上残り1枠をかけた荒川静香との一騎打ちとなった。ショートプログラムで首位に立つと、最終滑走となったフリースケーティングでは苦手の3回転サルコウ、3回転ループも決め、そのまま優勝。ついに念願のオリンピック代表に選出された。迎えたソルトレイクシティオリンピック本番、ショートプログラムでは7位となって最終グループ入りを逃したうえ、フリースケーティングでもくじ引きで早い滑走順になってしまった(当時は旧採点だったため滑走順が早いと不利な傾向にあった)。しかし、その悪条件を跳ね返し、最終的には5位入賞と好成績を残した。長野で開催された世界選手権では、出場4回目にして初めて表彰台に上がり3位に入賞した。


● 2002-03シーズンから2005-06シーズンまで

 2002-2003シーズン、全日本選手権で3年連続4度目の優勝を飾った。冬季アジア大会では2位。2季ぶりに出場した四大陸選手権では2度目の優勝を果たした。また、この2大会を通じて荒川静香・中野友加里と共に日本人選手で表彰台を独占した。グランプリファイナルでは6位に終わったが、世界選手権では前季に続き3位に入賞、男子の本田武史と共に2季連続で日本人選手が銅メダルを獲得した。

 2003-2004シーズン、NHK杯でグランプリシリーズ初優勝を遂げると、3度目の進出となったグランプリファイナルでは、ショートプログラム、フリースケーティング共に1位で日本人選手初制覇の快挙を成し遂げた。4連覇が期待された全日本選手権では2位、世界選手権では7位入賞にとどまった。

 2004年4月にマンション販売大手のダイナシティと所属契約、ダイナシティ子会社のダイナミック・スポーツとマネージネント契約。5月にはダイナシティの援助を受けてシカゴに練習拠点を移し、コーチにオレグ・ワシリエフを迎える。しかし、指導が充分に受けられなかったため、12月に練習拠点を新横浜プリンスホテルスケートセンターに戻し、再び佐藤信夫コーチに師事することになった。

 2004-2005シーズン、2季ぶりの四大陸選手権では、同大会最多優勝となる3度目の優勝を果たした。世界選手権では、予選Aグループで2位となり、ショートプログラムでは冒頭の3回転ルッツでの転倒が響いて10位と出遅れるも、フリースケーティングで追い上げて日本人選手トップの5位に入った。

 2005年6月28日、ダイナシティ社長だった中山諭が覚醒剤取締法違反で逮捕されて即日解任、村主側はダイナシティ側と協議し契約解除することになった。7月に担当エージェントが前年2月に設立していたマネージメント会社AKグローバルエージェントとマネージメント契約、10月にエイベックスと所属契約した。

 トリノオリンピックを控えた2005-2006シーズン、開幕直前の2005年9月に以前から痛めていた右股関節の故障が悪化し、グランプリシリーズ出場さえ危ぶまれた。10月のスケートカナダでは、ショートプログラムは無難にまとめて2位となったものの、フリースケーティングでは全くジャンプが跳べず総合8位に沈み、五輪連続代表入りは絶望的と思われた。続くNHK杯のショートでも3回転フリップで転倒し6位スタート。しかし、フリースケーティング1位と追い上げ、総合2位に入って復活の兆しを見せた。そして、五輪最終選考会の全日本選手権ではミスのない演技でフリー1位となり、グランプリファイナルで優勝していた浅田真央を抑えて3年ぶり5度目の優勝。選考ポイント最下位から大逆転でトリノオリンピック出場を決めた。同時に、全日本選手権において10季連続でメダリストとなった。

 トリノオリンピック選手団結成にあたっては副将を務めた。競技ではほぼノーミスの演技を披露したものの、成績はショートプログラム、フリースケーティングともに荒川静香、サーシャ・コーエン、イリーナ・スルツカヤに次ぐ4番手で総合でも4位入賞。フリーの3回転フリップからのコンビネーションジャンプが2回転-2回転となった以外特に大きなミスはなかったが得点が伸びず、前回のソルトレイクシティオリンピックから順位を1つ上げたが、メダル獲得には至らなかった。夢であったオリンピックに2度出場したことからメディアでは競技引退も囁かれたが、「今回トリノで魔法をかけられた。次のバンクーバーまで解けないと思う」との独特の表現で現役続行を表明した。

 世界選手権では、予選Aグループで1位となり、ショートプログラムではパーソナルベストを僅かに更新してサーシャ・コーエンに次ぐ2位スタート。フリースケーティングでもパーソナルベストに迫る演技をしたものの、村主の直前に滑走したアメリカの新鋭キミー・マイズナーが逆転優勝。結果、自己最高の2位に入賞し、世界選手権において日本人選手最多の3個目となるメダルを獲得。しかし、スルツカヤや荒川が不在の世界選手権で佐藤信夫コーチも「なかなかないチャンスで金メダルを獲らせてあげたかった」と語り、村主も「一番高いところに行きたかった。表彰台に多く乗っても、やはり色(が大事)だと思う。本当に思うようにいかないシーズンでした。人生は凄く難しいと思うようになった。今後はメダルの色にこだわりたい。失敗を恐れずにチャレンジしていきたい」とシーズンを締め括った。


●2006-07シーズンから現在まで

 自ら「リセットの年」と語った2006-2007シーズン、村主は東京で開催される世界選手権を見据え、ショートプログラムにはボレロを、フリースケーティングには以前から暖めていたという“一大プロジェクト”、女性ヴォーカルを楽器の一つとして取り入れた曲のメドレーを使用。もしジャッジがヴォーカルを歌詞と判断すれば規定により減点されるが、このシーズン初戦となるスケートカナダ以降減点されたことはは一切なく、新たな試みは成功となった。10回目の出場となったNHK杯では浅田真央に次いで2大会連続2位となり、4度目のグランプリファイナル進出を決めた。しかし、ファイナルではジャンプにミスが出て4位にとどまった。

 全日本選手権では、最終滑走のショートプログラムで3回転フリップが回転不足・両足着氷となってしまい5位と出遅れる。フリースケーティングでも同じミスを繰り返し、曲の終了に締めくくりの高速スピンが間に合わなくなってしまった。その結果、総合4位に終わり、世界選手権代表には選ばれなかった。冬季アジア大会では、フリースケーティングの中盤にジャンプミスを重ね、再び締めくくりの高速スピンを演技に入れられず、中野友加里に逆転優勝を許した。四大陸選手権では、ショートプログラムのジャンプで相次いで転倒し、12位と大きく出遅れてしまう。さらに転倒の際に臀部を強打、首もむち打ち状態となり、痛みがひかなかったためフリースケーティングを滑ることなく途中棄権を余儀なくされた。

 2007-2008シーズン、環境の変化を求め、7月に練習拠点をモスクワに移した。コーチも長年師事してきた佐藤信夫から、前季フリースケーティングの振り付けを手がけたアレクサンドル・ズーリンに変更し、イゴール・パシケビッチの指導の下、ジャンプのテクニックを変えてシーズンに臨む。グランプリシリーズ中国杯ではショートプログラムでジャンプのミスを連発して大きく出遅れたが、フリースケーティングで巻き返して4位となった。ロシア杯ではショートプログラムでシーズンベストを更新したものの5位に終わった。全日本選手権では、ショートプログラムで3位と好スタートを切ったものの、フリースケーティングでは3つの3回転ジャンプが2回転になってしまい、結果4位にとどまった。四大陸選手権の代表には選出されたが、目標にしてきた世界選手権出場権は得られなかった。四大陸選手権ではショートプログラムで大きく出遅れ、フリースケーティングではシーズンベストを僅かに更新したもののジャンプミスが続いて総合10位となり、一度も表彰台に上がることなくシーズンを終えた。ジャンプの不振から成績が低迷したシーズンとなったが、ジャンプ以外の要素では、トリノオリンピックでの敗因ともいえるレベルの取りこぼしはほとんどなく、ほぼ全ての要素でレベル4の評価を得るなど、その点では十分な成果の見られたシーズンだったともいえる。

 2008-2009シーズン、「ここ2シーズン結果を残せず、大きな変化が必要と感じた」とコメントし、7月にコーチをニコライ・モロゾフに変更。練習拠点も強化拠点のあるアメリカのニュージャージー州に移した。初戦の東京ブロック大会ではフリースケーティングでジャンプミスがあったものの、ショートプログラムともに1位で3季ぶりに優勝した。

 2008年11月グランプリシリーズ第2戦カナダ大会で2位。第5戦ロシア大会ではSPで首位に立ったものの3位となった。


posted by 大翔 at 15:21 | Comment(2) | TrackBack(2) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは〜(^−^)
いつもありがとうございます♪
すっごく参考になりました!
動画も見れたし(^_^;)TV見逃したので・・

村主選手がいつもキスアンドクライで
チカ!アイラブユー♪って言っているのが
納得です!!
次回は中国大会ですね!
真央ちゃん初登場ですよね?
とっても楽しみです(^−^)
Posted by ダイエットスイマーきららママ☆ at 2008年11月03日 03:50
こんばんは〜♪きらら☆ママさん^^

残念ながら中国大会の見所は

安藤美姫とキム・ヨナの激突です。

真央ちゃんはその後のフランス大会になります。

初戦のアメリカ大会のそっくり続きを中国大会で見れますので、一緒にしっかり応援しましょうね♪


Posted by 大翔 at 2008年11月03日 20:12
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専
Excerpt: 何気なくネット見ていたら横浜市の関連する記事を見つけました。私もコレ見て参考に...
Weblog: 横浜市 Search Anything
Tracked: 2008-11-02 16:47

女子シングル 村主は2位 武田は9位、フィギュアGP第2戦
Excerpt: 村主選手、2位おめでとうございます!! 昨日のフィギュアTV放送見逃しました~~~。 ゜゜(´□`。)°゜。ワーン!! 楽しみにしてたのにぃ~~ なので、大翔さんのブログで 村主選手のフリー演技観..
Weblog: ダイエットスイマーのひとり言☆
Tracked: 2008-11-03 03:51
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