【12月5日 AFP】「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」は09年春夏キャンペーンモデルに歌手のマドンナ(Madonna)を起用すると発表した。
舞台は40年代のムード漂うパリのバー。新作バッグを手に、ミニスカートとデコラティブなサンダルを身に着けたマドンナを撮影したキャンペーン広告は、来年の2月から世界中で展開される。
アーティスティック・ ディレクターのマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)は、「今回のキャンペーンをとても大胆でセンシュアルで、雰囲気のあるものにしたかった。それを成功させるには、最高のパフォーマーが必要だった。僕にとっては、それがマドンナだったんだ」とコメントしている。(c)AFP
〜カンタン豆知識〜
ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)はフランスのかばん職人ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton、1821年8月4日 - 1892年2月28日)が創始したブランドです。
LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループの中核ブランドである。
黎明期 (1854年〜1892年)
ルイ・ヴィトンが評価されるようになったのは、創始者であるルイ・ヴィトンが亡くなった後のことです。
ヴィトンは、まず「グリ・トリアノン・キャンバスGris Trianon」というトランク工場として創始されました。このトランクは、灰色のキャンバス地で覆われており、とても軽量なものでした。
1854年、彼はエミリー(Emilie Clemence Pariaux)と結婚、3年後の1857年には息子のジョルジュ・ヴィトン(Georges Vuitton)が誕生。
1859年、アニエールに最初のアトリエを構える。
1860年、ヴィトンは需要に押されて規模を拡大しました。
1867年、ルイ・ヴィトンは世界博覧会で銅メダルを獲得。これにより、世界的な評判を得、1869年にはエジプト総督のイスマーイール・パシャが、1877年にはロシアのニコライ皇太子(後のニコライ2世)がそれぞれ、1セットのトランクを発注しました。
また、当時の世界的に力を持っていたスペイン国王アルフォンソ12世からも、トランクの注文を受けることとなりました。
トランクの上から、布地を貼るというヴィトンの技法は賢明でしたが、容易にコピー商品が出回ることとなり、1872年、ヴィトンは別の布地を使うようになりました。
この布地は、「Striped Camvas」として知られているベージュと赤の2色で色づけされた布地でした。しかし、この布もすぐにコピー商品が出回ることとなってしまいます。
でも、コピー商品に押されることなく、彼のビジネスは成功を収めていきます。
また、私生活の方も衰えることはなく、1880年には息子のジョルジュ・ヴィトンがジョセフィーヌ(Josephine Patrelle)と結婚。入籍当日に、彼は息子にスクリーブ通りの店を任せます。
その3年後、ジョルジェにも子供が産まれ、ルイ・ヴィトンは祖父となりました。
1885年、ルイ・ヴィトンはロンドンに進出。
1888年、息子ジョルジュが、ベージュと茶褐色のチェス盤に、ルイ・ヴィトンの銘が入った「ダミエ・ライン」と呼ばれるデザインを考案。
1889年のパリ世界博覧会で、ルイ・ヴィトン社に金賞をもたらした。しかし、商標登録もされていたにも拘らず、またコピー商品が出回ることとなってしまう。現在は白と灰色の「ダミエアズール・ライン」もある。
1890年、5枚羽の錠前を開発。
1892年、ルイ・ヴィトン社はハンドバッグの販売を開始、トランクやハンドバッグなどが掲載された最初のカタログもリリースされた。その年の2月27日、ルイ・ヴィトンは自宅で息を引き取り、ジョルジェ・ヴィトンが会社の全権を握ることとなった。
1854年 世界初のトラベル・ラゲージ専門店をパリに創業。
1885年 国外第1号店をロンドンにオープン。
1888年 模倣品の防止の為から、ダミエのデザインを考案する。
黄金期(1893年〜1936年)
ルイ・ヴィトンの死後、Georges Vuittonはルイ・ヴィトン社を世界的な企業へと押し上げた。Georges Vuittonは、1893年のシカゴ世界博覧会に出展するなど、会社をうまく運営し続けると共に、著書「Le Voyage」(フランス語で旅という意味)を出版した。
1896年、ヴィトン社はそのトレードマークとなる布地を発表しました。
モノグラム・ラインと呼ばれることになるその模様は、様々なシンボルと共にルイ・ヴィトンを示す「LV」というマークが描かれています。
Georges Vuittonは、その後アメリカへ航海し、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアなど、様々な町を旅行し、その訪問中にもヴィトン製品を売って歩いていた。
1898年、Georges Vuittonは、パリ・オートショーにヴィトン製品を出展。
1900年、Georges Vuittonはパリ世界博覧会の「旅行アイテムおよび革製品」の部門を担当するという栄誉を得た。1901年、ヴィトン社は、トランクの中に入れることのできる小さなカバン「スティーマーバッグ」を発表しました。
3年後の1904年、Georges Vuittonはセントルイス世界博覧会において、議長を務めため、同年ヴィトン社は、新商品として、香水や衣類などの商品を小分けにできる仕切りの付いたトランクを発表しました。
1914年、パリのシャンゼリゼ通りに世界最大のトラベル・グッズ専門店をオープン。
1896年 ダミエの模倣品が出回ってきた事からモノグラム・キャンバスを考案。
ビジネス拡大(1937年以降)
1981年 日本初の店舗を東京・銀座にオープン。
1989年 香港初の店舗をオープン。
1983年 アメリカズカップの挑戦艇選抜シリーズ、ルイ・ヴィトンカップがスタート。
1985年 エピ・ラインを発表。
1987年 ルイ・ヴィトンとシャンパン製造会社のモエ・ヘネシーとの合併によりLVMH モエ ヘネシー ルイ・ヴィトンが誕生。
LVMHグループは今日、クリスチャン・ディオールやフェンディなど有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長。
1992年 中国初の店舗を北京にオープン。
1998年 バッグだけにとどまらず本格的にファッション界に進出。デザイナーにマーク・ジェイコブスを迎えプレタポルテとシューズのコレクションを発表。また、モノグラム・ヴェルニラインもあわせて発表。
1999年 ミレニアムに向けての限定品を3種発表。サイバーエピライン(エナメルのようなエピ地にブラックライトを当てるとモノグラム柄が浮き出てくる)のアジェンダPM(6穴バインダー手帳)・グッド・ラック・ブレス、ミニトランク。
2003年 日本人デザイナー村上隆とのコラボレーションにより、黒地あるいは白地にモノグラムをカラフルに配した「モノグラム・マルチカラー」を発表。このときに発表された商品の中にはモノグラム模様の中に、にこにこマークが描かれた桜の花を配した商品「モノグラム・チェリーブラッサム」や、大きな革製のリボンがついた商品なども発表された。同時に、村上隆のキャラクターであるパンダをモノグラムの上に描いたシリーズ「モノグラム・パンダ」も発売。
2004年 2003年と同じく村上隆とのコラボレーションにより、「モノグラム・チェリー」ラインが発表された。これは、前年のサクラシリーズよりは少し落ち着いているものの、モノグラム地の上に、サクランボのイラストを載せるというデザインであった。
2005年 秋冬コレクションとしてキャンバス地のカジュアルなシリーズ「アンティグア」が発表された。ナチュラルな生成と真っ赤なキャンバス地が素材である。
2006年 春夏コレクションとして、モノグラム地にパンチングを施し、穴を開けた素材の「モノグラム・ペルフォ」、デニム素材の「モノグラム・デニム」が発売。
2007年 秋冬コレクションは、カラフルなモノグラムマルチカラーをファーの上にプリントした「モノグラム・ミンク」とメタリックな素材の「モノグラム・ミラー」を発売。2月にはバレンタインラインとして、ハート型の小銭入れ「ポルトモネ・クール」、春コレクションは、モノグラムにフレンチレースを刺繍した「モノグラム・レース」、「デニム・パッチワーク」、「ポルカドット」など少数生産、多数コレクションへになりつつある。7月にはアメリカズカップへのスポンサード打ち切りを発表。
参考資料 Wikipedia