2009年01月28日

マービン・ゲイ Marvin Gaye ホワッツ・ゴーイン・オン - What's Going On の 日本語訳 カンタン豆知識




Mother,mother
There's too many of you crying
Brother,brother,brother
There's far too many of you dying
You know we ve got to find a way
To bring some loving here today

Father,father
We don't need to escalate
You see, war is not the answer
For only love can conquer hate
You know we've got to find a way
To bring some loving here today

Picket lines and picket sines
Don't punish me with brutality
Talk to me, so you can see
What's going on, what's going on
What's going on, what's going on



Mother,mother
Everyday thinks were wrong
But who are they to judge us
Simply 'cos our hair is long
You know we've got to find a way
To bring some loving here today

Picket lines and picket sines
Don't punish me with brutality
Talk to me, so you can see
What's going on, what's going on
Tell me what's going on
I'll tell you what's going on

ねぇ、母さん

ほら、沢山のお母親が泣いているよ

あぁ兄弟達よ

遠くの地であまりにも多くの仲間が死んでいる

君ももう分かってるだろ?解決策を見つけなきゃって!

愛する人々を今日ここに連れ戻すために


ねぇ、父さん

私たちはもうこれ以上、暴力を拡大する必要はないんです

いいですか?戦争は答えじゃないんです

そうさ、”愛”だけが憎しみや怒りに打ち勝てる

ねぇ、もう分かってるよね?解決策を見つけなきゃっ!

愛する人達を今日ここに連れ戻すために


デモ隊の行進と彼らが掲げるスローガン

暴力で私を痛めつけるのはやめてくれ!

私に話してくれよ!話せば分るさ!

今何が起こってるの?

何が起こってるの?

何が起こってるの?

何が起こってるの?


その間に

正しいコトをしようよ!

正しいコトをしよう

正しいコトを・・・


ねぇ、父さん・・・

みんな僕たちが間違ってるって思ってるんだよ

ただ、髪が長いと言うだけで判断してしまうのは誰?

もう分かってるよね?解決策を見つけなきゃって!

今日にでもお互いに分かり合う為に・・・

デモ隊の行進と彼らが掲げるスローガン

暴力で僕を痛めつけるのはやめてくれ!

僕と話してよ!話せばわかるさ!

一体何が起こっているんだ?

何が起こってるっていうの?

ねぇ、教えてよ!何が起こってるっていうの?

教えてあげるよ!何が起こってしまったか・・・

正しいコトをしようよ!

正しいコトを・・・


〜カンタン豆知識〜

 この曲は1971年、、、1971年といえば、ジョン

レノンがイマジンを発表し

http://hiroto1.seesaa.net/article/107787060.html

 レノン&ヨーコでハッピークリスマスを発表した年で

もあります。

http://hiroto1.seesaa.net/article/110681283.html

 そう、ベトナム戦争のさなかに書かれた曲です。

 マービンゲイは厳格な牧師の息子として生を受け、地元の教会で聖歌隊に参加したことがシンガーとしての第一歩であった。歌と同時にピアノやドラムといったいくつかの楽器の演奏技術も習得し、音楽の下地を養っていた。
 音楽に没頭するきっかけは、彼の父親の常軌を逸した躾であり、精神的な虐待であったと云われる。この悲劇的な側面は後の彼の人生に大きな暗い影を落とすこととなる。

 学業を終え、空軍に入り除隊した後に彼は、ドゥーワップ・コーラスグループ「マーキュリーズ」の一員として活動を開始する いつくかのグループを渡り歩くうちに実力をつけた彼は、デトロイトで公演した際に、モータウンレコードの社長であるベリー・ゴーディ・ジュニアにその才能を見出され、同レーベルでソロシンガーとしてのキャリアを踏み出すこととなる。

 モータウンに所属していた初めのうちはドラマーとしても活動しており、同レーベルに属した優れたスタジオ・ミュージシャンとの親交を深めた。この経験は後に、楽曲を制作する際に、適材を起用し、演奏者の技術を最大限に引き出すという部分に生かされていくこととなる。
 特にベーシストであるジェームス・ジェマーソンは彼の作品に大きな貢献を果たし、数々の名曲を生み出すこととなる。
 やがて、ソロシンガーとしていくつかの作品を出すうちに、少しずつシングルの売上も伸び始め、また、社長の実の姉であるアンナと結婚したことも弾みとなってか"I Heard It Through the Grapevine"(「悲しいうわさ」)、"Can I Get a Witness"(「キェン・アイ・ゲット・ア・ウィッネス」)、"How Sweet It Is (To Be Loved By You)"(「ハウ・スウィート・イット・イズ」)などのヒットシングルを生み出した。フランク・シナトラやナット・キング・コールの洗練さと、ゴスペルの影響を受けたサム・クックやジャッキー・ウィルソンの力強さを兼ねそろえた彼の資質は、モータウン所属の歌手の中でも、とりわけ高い人気を誇ることとなった。

 特に1960年代の中期で彼の人気を決定付けたのは、同レーベル所属歌手のタミー・テレルとのデュエットである。息の合った二人のデュエットは高い人気を誇り、"Ain't No Mountain High Enough"や"Ain't Nothing Like the Real Thing"などの現在でも愛されつづける名曲を数多く世に送り出した。

 しかし、タミー・テレルが脳腫瘍で夭折したことがきっかけで、一時期歌手活動を休止してしまう。パートナーであった彼女の不在と共に、刻々と変化する時代に対して、自分が今までの持っていた音楽性に疑問を持ち始めたことも大きな要因であった。やがて、ベトナム戦争から復員してきた弟と再会したことをきっかけにまた新たな音楽性をあらわすこととなる。

 1971年、アルバムWhat's Going On(『ホワッツ・ゴーイン・オン)』を発表する。
 華麗で美しい楽曲と隙のない緻密なアレンジによる音楽性は絶賛を受け、アルバムと共にシングルで発売されたタイトル曲やMercy Mercy Me(「マーシー・マーシー・ミー」)も大ヒットを記録する。
 音楽以上に人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ベトナム戦争や公害、貧困といった社会問題を取り上げた歌詞と、それに対する苦悩を赤裸々に表現したマーヴィンの熱唱であった。
 当時、シングル盤が中心であった黒人音楽の世界に、一つのテーマ、特に社会情勢などを元にしたアルバムを制作することは画期的なことであり、またこのアルバムで、内容に対して消極的になっていた会社に対して、マーヴィン自身がセルフ・プロデュースという制作体制で望んだことも大きな注目を集めた。
 自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというこのセルフ・プロデュースの姿勢は、同世代に活躍した黒人アーティストに大きな影響を与え、マーヴィンの行動に触発されたダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダー、カーティス・メイフィールドなどのアーティストが、より自分の才能をいかしたより個人的世界を反映した作家性の高い、意欲的で充実した作品を多く生み出すことなり、「ニューソウル」という新しい音楽を確立することとなった。また、この影響はベイビーフェイスなどの次世代の黒人アーティストにも十分に受け継がれている。

 第二の黄金時代を迎えたマーヴィンは、より私小説的な内容の作品を数多く生み出していく。恋人への愛情と性への欲求を表現したLet's Get It On(『レッツ・ゲット・イット・オン』)、先妻との離婚をテーマにしたHere,My Dear(『離婚伝説』)、孤独と愛への欲求を表したI Want You(『アイ・ウォント・ユー』)などの充実したアルバムが制作・発表されたが、一方では、先妻との離婚の泥沼や二度目の結婚の失敗、本人の麻薬依存などが原因で私生活は混乱を極め、創作的な部分もかげりを見せ始めていった。

 一度は破産などのどん底の状態にあったマーヴィン・ゲイではあったが、彼の才能を惜しむ後援者が積極的に援助に回ってくれたことがきっかけとなり、一時期は途切れがちだった音楽活動も徐々に彩りをみせ始めた。
 1980年のモントルーでのライヴを皮切りに、1982年には移籍したCBSコロムビアよりMidnight Love(『ミッドナイト・ラヴ』)をリリースする。シンセサイザーを大胆に使用した本作は発表と同時に評判を呼び、シングルカットされた「セクシャル・ヒーリング」も大ヒットを記録し、翌年の1983年には当時、飛ぶ鳥をおとす勢いであったマイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーを抑え、グラミー賞を受賞するなど健在振りを見せつけた。
 しかし、1984年の4月1日、自宅で父親と口論になり、逆上した父親が彼に対して発砲、マーヴィンはそのまま帰らぬ人となった。奇しくもその日は彼の45回目の誕生日の前日であった(父親が発砲した銃は、彼がプレゼントしたものであった)。

 参考資料 Wikipedia

 そしてこの曲の底流には、マービンゲイが単に反戦を歌ったものではなく、父親に送った曲という一点があることを見逃せませんよね。

 そして世界では、まだこの流れが続いている。

 今も、、


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posted by 大翔 at 16:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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