【ニューヨーク=黒沢潤】48歳で急逝したホイットニー・ヒューストンさんは1980〜90年代、類いまれな歌唱力で世界中のファンを魅了した。最近は麻薬やアルコール中毒などに悩まされるなど、私生活の乱れが脚光を浴びたが、その活躍が米音楽史に刻まれることは間違いない。
ゴスペル歌手の母親を持つヒューストンさんは子供のころから、ニュージャージー州の教会で歌い、その才能が注目され始めた。
ヒューストンさんを“発掘”した有名音楽プロデューサー、クライブ・デービス氏は「彼女を初めて見たとき衝撃を受けた。歌うときの息づかいは炎のようだった。ゾクゾクした」と振り返る。米CBS放送は「音楽は彼女の血液の中に流れていたのだ」と指摘する。
デビュー後の80年代後半には次々とヒットを飛ばし、マライア・キャリーさんらに絶大な影響を与えた。
米国中を感動させたのは米プロフットボール、NFLの王者を決める91年のスーパーボウル会場で国歌を歌ったとき。米国では当時、第一次湾岸戦争開戦をめぐる賛否が渦巻いていたが、「心を込めた歌は少なくとも数分間、米国を団結させた」(米CNN放送)のだった。
ただ、R&Bなど伝統的な黒人音楽とは常に一線を画し、批判を浴びることもあった。「黒人としてのルーツを軽視し白人にこびを売る」とみられたためだ。
AP通信は、R&B歌手のボビー・ブラウンさんとの結婚はこうした批判をかわすためだったとの見方も紹介している。
ヒューストンさんの人生は、結婚と時を同じくして狂い出したと指摘する米メディアは少なくない。2000年、ハワイの空港で大麻所持が発覚した後、夫とコカインや大麻などを使用していたことを告白。「雲の上の人が地獄へと落ちた」(米紙ニューヨーク・タイムズ)瞬間だった。家庭内暴力にも悩まされていたといい、07年に離婚した。
ヒューストンさんは麻薬中毒のリハビリのため、更生施設に少なくとも2回入っている。10年に復活を宣言したが、奇行ぶりが米メディアから注目された。
「一番の悪魔は私自身。私は、私の最高の友人であるか、私の最悪の敵だったのです」。ヒューストンさんは米ABC放送のインタビューでこう答えている。
ただ、数々の名曲で世界中を感動させた事実は否定すべくもない。CNNはヒューストンさんの歌で勇気づけられた黒人女性の言葉を紹介している。
「白人の女生徒たちが大半を占める高校で、ヒューストンさんは私たちのヒロインであり続けた。(白人の女性のように)ブロンドの髪や青い目を持つ必要はない。そのことをヒューストンさんは教えてくれた。(天国にいる)彼女がこの事実を知ってくれることを切に、願う」
残念ですね。。。
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