【2月18日 AFP】ソチ冬季五輪のスキージャンプ男子ラージヒル団体で、日本が獲得したメダルは金色ではなかったかもしれないが、深刻な病状で五輪開幕の数週間前に入院を余儀なくされた竹内択(Taku Takeuchi)にとって、チームで獲得した銅メダルには何物にも代えがたい価値がある。
26歳の竹内は、1月のW杯遠征中にぜん息の症状を訴え、チームメートを開催地の欧州に残し緊急帰国した。
しかし、そこで竹内が受けた診断結果は、「チャーグ・ストラウス症候群」という予想を超える難病にかかっている可能性が高いというものだった。ぜんそくにも似た初期症状を引き起こすこの病気は、ときに死をも招く難病とされている。
それから竹内は2週間入院し、五輪への出場も危ぶまれた。
しかし、竹内は試練にも負けず、ロザフトル(Rosa Khutor)で行われた団体戦では日本代表の一員として銅メダルを獲得した。
「とても苦しい時間でした。もしかしたらこれは死んでしまうんじゃないかと、脳裏によぎることもあった」
「もちろん、五輪には出られないのではないかという気持ちもありました。でも、そのなかで家族の支えや、病院の人たちの助けがあって五輪に来られた」
試合後の会見中、竹内は目に涙をためながら「自分なりに精いっぱい飛べて、先輩たちに助けてもらってメダルが取れました。本当に感謝しかありません」と語った。
■竹内、入院中も「五輪に出たかった」
入院中、五輪へ出場するという竹内の気持ちは揺るがなかったという。
「病気について聞いたとき、一瞬考えた。でも、本当に五輪に出たかった。入院中その気持ちがずっとあって、家族や自分を支えてくれた人たちはそれを知っていた」
竹内は「普通ならば、やめていたでしょうね」としながらも、家族が背中を押してくれたおかげで、目の前の目標に向かって進むことができたと涙を流した。
「父は励ましながら、お前ならできると言ってくれた。母は心配しながらも、自分を支えてくれた」
「父は(2013年12月にノルウェーの)リレハンメル(Lillehammer)で2位に入った試合の表彰台での写真を引き伸ばした。胸に『金』の文字を書いて病室に持ってきたんです」
「すごい写真でした。メダルのような金色の紙が貼ってあって、それを見るとソチ(Sochi)に行ける気がした」
病気により、体重が激減したという竹内は「もはや自分にはみえなかった。でも、メダルが欲しいという気持ちがあって、その気持ちは入院中も消えなかった」と話す。
「いつもプラスに考えて、ソチに来られた。100パーセントの状態ではなかったけれど、ベストのコンディションではないなかで一番良いジャンプをすることを考えていました」
■試練を乗り越えた竹内をチームメートも称える
チームメートも竹内を称えた。
伊東大貴(Daiki Ito)は竹内について、「トップまではい上がった、本当に強い人」と述べた。
「彼の家族や周りの人の支えが素晴らしかった。自分は部外者でしたが、伝わってきました。入院して治療を受けることになったときも、ソチには戻ると言っていた」
チーム全員が尊敬していると竹内が話しているベテランの葛西紀明(Noriaki Kasai)にとって、最後に見せた大ジャンプは竹内への思いでもあった。
「択が一番つらいと分かっていたので、病気のことを考えると感極まって僕も涙が出ることがあった。だから、どうしてもメダルをとらせたかったんです」
竹内にとって、日本がスキージャンプで1998年の長野五輪以来のメダルを獲得できたことは、自分以外にも大きな意味があるという。
「同じ病気で闘病生活を送る人がたくさんいる。あきらめないで頑張ればメダルが取れるんだ、と病気で苦しむ人に伝えたい」
熱のこもったメッセージを送った竹内は「この病気と闘う人が回復することを願います」と締めくくった。(c)AFP/Sim Sim WISSGOTT