仕方といえば、方法とかやり方を意味しますよね。
仕方がないといえば、何の打開策も無く諦めるといった意味で使われてませんか。
一生懸命やっても仕方がない場合も有れば、安易に楽な方を選ぶ時にも使われているような気がします。
様々な人と会話していると、この「仕方がない」をよく使う人と出会う事が有ります。
こんな人と出会うと、私的には努力をしない人という印象を持ちます。
それでも「こうやってみたけけど、この時点でどうにも成らなかった、仕方なかった。」と言っているなら「私ならこうしたよ」とか、他の例を知っていれば「そんな時、誰々さんはこうしたらしいよ。私も驚いた」とか、物事によっては再チャレンジできる場合もあります。
しかし、初めから諦めていて、意欲も無く、やる前から言い訳を考えているような人には、何も話せません。
仕方がないという人ほど仕方がない人はいないものです。
仕方がないを便利な言葉として何度も自己暗示掛けてる人は要注意ですよ。やがて心眼が退化するでしょうし、なでしこジャパンには入れませんね^^。 炎暑の金沢を訪れ九谷焼の店をはしごした。端正で華やかな器の数々を楽しませてもらったが、これというものが見つからない。何軒目かで目にとまったのはナマズをかたどった織部焼。九谷の産地で織部を買うのは反則だろうが、カワハギの刺し身を盛ると具合がいいだろうなという煩悩に負けて、隣県の器を買ってしまった。
もっとも、あれこれ迷えるのは幸せなことだ。豊かな証拠でもある。残念なことに最近は選択肢が減り、「本当は不満なんだけれど仕方がないや」ということが増えてきたような気がする。
例えば、米国債。巨額の財政赤字を抱えて史上初の格下げとなったが、代わるものがないという消極的理由で買われ続けている。安全性では「AAA」の英国やドイツの国債が勝るが、世界最大の売買量と発行残高を誇る米国債の流動性にはかなわない。円もまた、「仕方なく」買われている資産の一つだ。ドルやユーロよりもマシという消極的理由で歴史的な円高に追い込まれている。
かつてない議論を巻き起こしているエネルギー問題も実は選択肢は少ない。原発依存度を段階的に減らしてゆくという方向で合意が形成されつつあるが、その過程では「仕方がない」ことが多いのだ。今夏は節電と電力各社のやりくりで何とか乗り切れそうだが、火力や水力発電の予定外の故障で東北や関西圏の供給不安は強まっている。来春に全原発が停止すれば状況はさらに厳しくなる。安定供給を取り戻すには、点検中の原発を再稼働するしかない。
福島の原発から漏れた放射性物質が周辺住民や産業に深刻な被害を与え続けている現状からすれば、原発はこりごりと思うのは当然だ。しかし、電力不足、円高が続けば企業は海外に移らざるを得ない。雇用が失われ、税収が減れば復興資金も確保できなくなる。原発再稼働は「仕方がない」。
脱原発議論も同じだ。足元の経済成長を前提とすれば、全てを自然エネルギーで代替させることは不可能だ。省エネや新エネ技術には期待したいが、たらればでは国のエネルギー政策は考えられない。良質の電力を安定的に供給できる基幹電源として原発の代わりは今のところ見あたらない。
選択肢が限定されるのは不幸なことだが、思い起こせば2年前、「自民党がだめなので仕方がない」という消極的選択によって民主党政権が誕生した辺りから、日本人の選択肢が減り始めた気がする。(経済本部長 谷口正晃)
posted by 大翔 at 10:28
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